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筋肉ドクターの気まぐれ日記

Killing Timeに日記を書き候
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03.29.16:23

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  • 03/29/16:23

02.13.01:43

男女の区別

前時代、男は仕事に女は出産育児に命をかけてきたんだと思う。

しかし、男は仕事に女は育児に命をかけなくなった。
そして、男は育児に、女は仕事に権利を求めた。
それが、平等だと。

そして、男は仕事のストレスで女は育児ストレスで鬱になるようになった。
男らしくない男、女らしくない女が増えた。
自分の権利が満たされないことにストレスを感じるように、社会が変えられた。
人の命は地球より重い、簡単に命をかけてはいけない。自分のために人生を使えと。

でも、男は仕事に、女は育児に命がけで人生の喜びを感じることが、一番幸せじゃないだろうか。
自分の権利なんて捨てちまえ。

欧米が何言おうが、日本はそれでいい。


そんなことを考えさせられた某議員夫婦の話。


でも、欧米属国化していくんだろうな。
和魂洋才は昔話。


こんなのは古臭い考えだと、きっと権利意識の強い鬱の人に思われるんだろうな。

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01.06.02:27

ルール

ルールというのは、多様性のある人間の社会の安定のために必要なものだろう。

しかし、本来○○省という名前は、省みるという意味と省くという意味があるというのは、余分なルールを省くという意味が本来あるらしい。

要するに、もともと人間はクリエイティブであり、余分なものもいろいろと作ってしまうというのを見越したネーミングってことだ。

しかし、どんどん、本来マナーや道徳で解決されてきたものまでルール化して、逆に正義が失われ、弱者救済の名のもとにどんどん息苦しい世の中になっていると感じる。

最近感じるのは、条例は地方自治体の良し悪しが分かるなと。我がホームタウン京都は、絶対いけてない。無駄な条例がおおすぎるし、変な公共事業も多すぎる。

京都らしい景観なんてのも下らん。京都通の京都在住の友人によると、本来都というのは華やかで派手なものだと。ただ、世界にも稀な1000年以上都だったために色褪せているだけで、派手なものが長年かけて色褪せているのが京都らしいのであって、最初から色褪せた色で建造物を作ることは京都らしくない。そんなに景観を守りたかったら、色じゃなくてすべての家を宮大工に作らせるくらいして、街中映画村にすりゃいいですやん。中途半端な。


同様に、明文化された社会ルールではなくても、人間個々に歳を取ると色々な無駄なルールを作る。特に健康、運動関係。

こういう運動をすると痛める。それまでさんざん同じ運動して大丈夫だったのにたったの1回あっただけで、それのせいと決めつける。
寒いと風邪を引くというのも、同様なものだろう。

もちろん、リスクを避けるという意味では、ある程度の危険を避けるルールを自分で持っていることは重要だ。
重量物が落ちてきたらルールを確認するまでもなく逃げるべきだろう。

しかし、自分が省しないと、どんどんルールが増えて息苦しい人生に変わっていく。
その息苦しいルールでがんじがらめになった人が、自律神経失調だの否定愁訴だの言われている気がする。
最近の運動器の心理社会的危険因子もその類だろう。

一旦ルールから離れて客観的にそのルールの正しさを確認して、間違ってそう、分からないものはルールから省く。これが重要に感じてどんどん実行している私ですが、それが出来ない人が病人と呼ばれている気がしないでもない。

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01.04.09:54

アプローチの改善

ジェームス・スキナーさんが成功の9ステップで言ってます。
「自分の欲しい結果が得られていないなら、違うことをやれ、何でもいいから」

そして、情報ソースは怪しいですが、アインシュタインも、
「今までと同じ考えや行動を繰り返して、異なる結果を期待するのは狂気である。」
と言っていたというのがあります。

これらは、結果が出ない時にそれをやり続けても結果が出ませんよということだと思う。

もちろん長年の研鑽を積まなければ見えてこない出来事もあるだろうが、頓珍漢な努力をするなってことだと思う。
そういう意味ではジェームスの何でもいいからは語弊があると思う。

無意味に専門家に言われたから、医師に言われたからと、治らない治療をやり続けているのも、この部類だ。
腰痛なんて最近のEBMと言われるまで長年頓珍漢な病因論を元にしてきたから、未だに患者増加中とも言われている。

やはり、ここでも大事なのはKIS原則だ。
国語の成績が悪いから、国語の勉強内容を改善するってのはありだが、国語の成績が悪いから理科を勉強するとかは頓珍漢だ。

ここで、運動についてもそう思うわけです。
筋力がつかないのに、筋力を付けない運動を試してみるってのは、試す価値が無いと私は思うわけです。筋力が無いのに技術練習をするというのは頓珍漢なのだが、これを分かっている人は少ない。筋力が無くて歩けない老人に歩く練習をするというのもこの部類だ。

しかし、正しいアプローチを見極めたら、それを更に研鑽してやり続けるのも一つのアプローチの改善方法だ。

当たり前のことを当たり前にやる。これに限る。

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10.23.01:35

故・酒井雄哉大阿闍梨

私が酒井雄哉大阿闍梨をリスペクトしていることは、ご存知の方も多いかと思いますが、私は千日回峰行者に魅力を感じているのではありません。酒井雄哉大阿闍梨に魅力を感じているのです。

では、どこに?と思われる方も多いので教えます。

多少、酒井雄哉大阿闍梨に興味を持ち、著書を読みだして思ったのは、非常に現実的なんです。僧職にも関わらず、神秘的に語ることが一切ないと言っても過言ではない。
40歳を超えるまでの波乱万丈な人生を嘗め尽くしてきた後に得度されているのもあるかもしれません。

得度が遅いだけに千日回峰行者の中でも最高齢だったのではないでしょうか?しかも、二千日回峰行者ですから倍回峰行をされているわけです。満行されたのが60歳を超えているというのも凄いことです。
が、全く偉業を成し遂げたという自覚が感じられない方でした。謙遜していると思う方も多いでしょうが、謙遜すら全く感じない。普通なんです。

で、幸運な事に何度か実際にお会いしてお話させて頂けました。

一つ酒井雄哉大阿闍梨の著書を読んでいて私が持った疑問。そんな現実的で普通な酒井雄哉大阿闍梨ですが、転生輪廻だけは当然あることとして語っている。何故あると思ったのか?、俺は無いと普通に思うが?という疑問をぶつけに、飯室谷不動堂までお邪魔した。

で、そのまま疑問を投げかけてみた。その答えは?


これは、私には流石に大阿闍梨と尊敬の念を持つきっかけになった回答であったと言えるが、皆様には何と下らない答えだと思われる方もいるかもしれない。
しかし、私には衝撃的な内容だった。
KIS原則を唱える私に「何でそんなことも気づかんのだこの馬鹿チョンが」と言われているに等しい回答だった。


その答えは



「(転生輪廻が)あったら面白いだろ?」


であった。

そして、常行三昧をされている時の、私も著書で読ませて頂いたエピソードをお話された。
修行をしている最中に虫が鳴いているのが、昔、行を完遂できなかった行者が姿を変えて来たのかと思ったという話だった。
そして、「な、そう考えるほうが面白いだろ?人間なんて一つのものをいろんな見方ができるんだから、好きに考えれば良いんだ」と。

確かに転生輪廻があるか無いかなんて、どっちでも良い話だ。じゃあ、面白い方で良いだろ?ってことだ。

その後も何度か、どうでも良い質問をさせて頂いたが、毎回丁寧に私以上のKIS原則で答えて下さった。こりゃ~、この人には敵わんなと私に思わせた数少ない人の一人だった。



最後に酒井雄哉大阿闍梨がスッゲー普通だったところを皆さまに一つお伝えしましょう。


虎キチでした。

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10.22.10:09

賢バカになっちゃいけないよ!パート2

私は他の先生に怒られるかもしれないが、生徒に見たことも、感じたこのも無いものを根拠に考えるなとKIS原則を教えている。

なのに、「腕立て伏せを続けると何故できなくなる?」と聞くと多くの生徒は「乳酸が溜まるから」と答える。
「乳酸って見たことある?何色?溜まってるの分かるの?」と聞いても答えられない。
乳酸が溜まるを根拠に更にその上に知識を積み上げて何の役に立つのか?

「じゃあ、なんでできなくなるんですか?」と生徒は聞いてくる。
「筋肉が疲れるからだよ。」と答える。
「筋肉が疲れてるのは分かるやろ?」

それほど勉強ができる人が集まっている学校でないと思われるが、それでも勉強し過ぎと思う、更に頭の悪い単細胞な非常勤講師の俺。

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10.14.23:16

無償の遊戯性

SWITCHインタビューで磯田道史さんが「オタク」について述べているのだが、この無償の遊戯性とは深いなと。

私が健康な心で勧めている道、志を持つというのは、まさに無償の遊戯性だなと。

要するに、オタクは心が強いってことです。

番組内で磯田氏も述べていますが、損得勘定、成功失敗とか関係なしにオタクという人は一つのことをやり続ける。何故やるのか?楽しいからだ。
寝食を忘れてという表現もあるが、一つのことにそれほど打ち込む。
別に誰かに言われたからとか、1番になるためとか、お金や肩書のためでもない。
要するに夢中なのだ。

人生こういう夢中になるものが仕事であれば尚更強い。

儲かるから、成功するから、名誉があるからとか思ってやっている人と、無償の遊戯性でやっている人の次元の違い、力の違いは明らかだ。

やり続けたところでオタクは、肩が凝っただの腰が痛いだの疲れただの言わないだろうし気にもかけないだろう。過労死とも無縁だろう。

どのような志を持てば良いのか分からないから、自分探しの旅に出るとか言っている人は、すでに無償の遊戯性を持ててないことに気付くべきだ。目の前に既にある夢中になれることに集中する。それで失敗するとか成功するとか儲かるとかそういう資本主義で刷り込まれた考えを捨てる。それが、無償の遊戯性を獲得する道だ。

こういう世に役立つ一つのことに出会えた人は、一般的なそれが持てない人から見れば「オタク」と呼ばれるかもしれないが、これ以上の人生の幸せ、これ以上の強い心はない。

頑張らなくても継続できる。

で、さっき呟いた「継続はオタクなり」って思った次第です。

自己啓発本読んで、これを継続すれば成功するとか思ってやっている人は、オタクに負けるってことだ。

みんな!目指せオタク!!

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09.17.01:26

賢バカになっちゃいけないよ!

キストレは名前の通り、愚かなほどに単純な道理に基づいたトレーニングってことだ。

愚か者にも分かるってことなんだが、意外と愚か者が少ないことが私の最近の悩みだ。

ゼロベース思考、要するに今やっていることが効果がなかったのなら、継続するか?ってことだ。
もう一度最初に戻ってやり始めるとして、今やっていることをやらないなら今それを止めましょうってことだ。その間違った考え、行動を捨てましょう、ゼロから考えましょうってことだ。

そのゼロベースになれる人が意外と少ない。誰も彼もが筋トレとは?と言うと、超回復をさせるために筋線維を破壊する運動をしなければとか、机上の空論から入る。
それを知らなければ、筋トレができないの?ってことだ。

もっと単純に、人間って環境に慣れるよね?誰でも知ってるよね?昔は悪口言われただけで泣いたよね?今、それくらいじゃ泣かないよね?そんなこと屁とも思わないように慣れたんだよね?じゃあ、どういう環境に慣れれば筋力が強くなると思う?ってとこから入るのがキストレの愚かなほど単純な話のスタートだと私は思っているのだが。

私が単細胞な愚か者過ぎるのかな?

まだまだ、皆さん、馬鹿になれない。ゼロベースになれない。雑多な知識を捨てれない。


酒井雄哉大阿闍梨も、賢バカになっちゃいけないよと言っていた。本当にそうよ。



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09.10.12:47

本質

私がなぜKIS原則、本質に拘るのかと言うと、恐らく子供の頃から記憶力が悪い、いや、多くのことを覚えるのが嫌いだったためではないだろうか?

数学の公式ですら、覚えるのが嫌いで、公式の導き方からいちいち解くので、とりあえず、学校の試験は嫌いだった。

多くのことを記憶したら勝ちみたいな試験ばかりですからね。

で、そんな学校教育をボトムラインでこなしてきただけに、今も雑多な知識にネット時代とはいえ興味ないんですね。

これ知ってたら後は応用するだけみたいな本質を知るのが好きなんだな。後で知ったが、これ、黄老思想って言うみたいね。

本質が見えない人って、何でも記憶しようとし過ぎか、根本的に何も考えてないんじゃないのかな?

本当に、雑多な知識に翻弄されている人多いよね。

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09.07.22:54

How toよりWhy

よく自己啓発などで言われている話ではありますが、違う視点で。

自己啓発でありがちな説明は、人が行動するかどうかで、How toを知っても行動しないと。行動する理由Big whyが無いと人は動かないという話があります。

という、壮大な話ではなくて、結構、どちらから学ぼうとするかってことが、もの事の理解の分かれ道になる気が最近します。


恐らく、スポーツとかでも、子どもの教室など行くと、最近は教え方も多様化しているので一概には言えないが、型から入る場合が多いのではないかな?

野球ならグローブを付けて捕球の仕方。上ならこう、右ならこう、左ならこう、下にゴロならこうみたいな感じで。でバットはこう握ってこういう風に振りますみたいな。

スキーでもストックはこう持って、曲がる時は谷足に体重を乗せてこうとか。

要するにHow toから入る。


まず、その競技のゲームを教えるのがいいんじゃないかな?と私は思う。

野球ならピッチャーが投げてバッターが打ってダイヤモンドを1周したら1点。
アウト、セーフがあってなど。
ルールを簡略化して、まずゲームなんてのも良いかもしれない。

要するにそのゲームはどうなったら勝ちであるか。

目的だけ示す。で、いきなりやらす。

すると、バットを握るのは何故こうした方がいいのか?とか自分でWhyからHow toを見つけ出す。

この、型から入るHow to教育って良くない気がするんだな。答えっぽいのを安易に教えちゃうこと。

でも、How toを知らずに育った凄い選手が、例えばテニスラケットを反対向きに持ってプレイする選手が、優勝しちゃったら(ルール違反かは知りませんが)、今度は反対向きに持つのが正しい持ち方とか教えだすんでしょう?

要するにHow toなんて結果オーライなわけで、Whyから入らないとダメだと思うんですよね。


うちで、筋トレ指導者を育成しだしたり、スタッフを見ていて、私が患者、クライアントに教えているHow toを覚えようとする人が多い。

私にHow toは実はほぼ無い。キストレもWhyの話だ。How toは各論というところで総論のWhyのところから演繹できる話をしているだけだ。

だから、私のHow toは覚えても意味が無い。


Whyは筋力を鍛えるためにやっているだけ。その目的のために今日この人にどういう運動をしてもらうか。してもらわないか。How toはいくらでも作れる。この根源、本質を身体で知って欲しいと思うな。

筋トレの本質、根源は「・・・な・・・・に・・すること」といつもセミナーで言ってます。それが筋力を鍛えるために何故Whyそうするのかの答えだと思います。

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08.22.12:11

KIS実学好き

トレーニング理論の良書などと言われているものが、私が読むとそれほど良書と思わないことが多い。

私が変人だからで終わる話かもしれないが、根底はKIS原則、実学から離れた話が多いのが原因だと思う。

トレーニング理論ってからには、それが分かればいつでも誰でも筋力をつけることができるものでなければならないと思うわけです。

しかし、筋肉の名称が何で、組織は、細胞は、代謝はとか、神経支配がどうこうとか、なんて話が続き、筋トレはこの種目を10回3セットくらいで限界くらいの運動ですみたいな、前の話と繋がらない話が急に出てくる感じのが多い気がする。

で、結果が出せない実践もしたことの無いトレーニング理論家が、臨床の場で筋力訓練をするってことになるんでしょうね。

単純な納得できる真理、実践してすぐに結果が出る道理が抜け落ちた理論に興味がないんですよね。

これ筋トレに限らずあらゆる面で私の興味がこの原則なんですね。
これさえ知っといたら後は応用みたいなのを掴みたいんですよね。

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