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筋肉ドクターの気まぐれ日記

Killing Timeに日記を書き候
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04.29.16:48

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  • 04/29/16:48

08.20.10:08

吾道一以貫之

子日く、参(しん)や、吾が道、一を以って之を貫く。
曾子曰く、唯(い)。
子出ず。
門人問うて曰く、何の謂(いい)ぞや。
曾子曰く、夫子の道は忠恕のみ。

論語・里仁篇の一節だが、この一節、孔子の言ったことを曾子が門人に伝えた内容は、孔子は忠恕を貫く人生だと言ったが、孔子は「吾が道、一を以って之を貫く」と言っているだけなわけで、それで良い気がする。
別にそれが忠恕であろうが何であろうが個人個人一以って人生を貫くことが重要だと孔子は言っている気がする。

詳しくは、来週のセミナーで。

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08.15.09:46

夢≒詐欺

夢って詐欺と紙一重だと最近思う。

夢の新薬で難病奇病が一発で治るとか、秘孔を突いたら一撃で動けるようになるとかは、ドラえもんや北斗の拳の世界だとは話してきた。

しかし、世の中よくよく見てみたら、夢を売る仕事というのも多い。
というかほとんどだ。

芸能人などはその最たるものだ。
タレントなんて才能っていう意味だが、何かの才能があるの?ってタレントも多い。
アイドルってのは偶像っていう意味もあるようなので、ほとんどの芸能人はそちらかもしれない。
要するに人間、虚像、偶像、夢をどこかで求めている部分があるから、そういう夢を売る仕事が成り立つのだろう。

医療業界もある意味夢を売る仕事だと思う。
癒しなんてその最たるもので、治りもしない、治しもしないもので癒しという夢を与えるわけだ。
治療なんて言っているが、病気の本態を治しているものなんてほぼ皆無なわけで、ほとんど癒しという意味では夢を売っている。

人間、何もしないでお金持ちになる、楽して頭がよくなる、不摂生をしてるのに健康になるとかいう夢にお金を払いたがる。
こういうものはまず、冷静に考えればあり得ない話だ。
もちろん、見当違いの努力をしている人は、正しい努力方法が教えてもらえれば効率は上がるだろう。

芸能人でも夢を現実にしようとしている芸能人には本物の魅力があるように思う。
夢を夢で終わらせるのは虚像、詐欺みたいなものじゃないか。

しかし、買う方も夢を買いたがるから詐欺にひっかかるわけで、ある意味本物と夢とを区別できなかった自分にも責任がある。
現実的に単純に考えないからそういうことになりやすいと思うな。

どうせお金を払うなら、本物の正しい努力を買うべきだと思うな。私は。

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08.08.01:16

未来を見据えた現在を全力で

筋トレは色々な哲学を私に与えてきた。

最近思う気づきを皆様にシェアしましょう。


筋トレのトレーニーというと、パンプ感や翌日の筋肉痛を求めて身体をいじめ抜くって感じが一般的だろう。

しかし、筋トレって何のためにやっているのだろうか?
人それぞれの理由があって良いと思うが、私は強くなるためだ。強くなれば筋肉のサイズも自然と大きくなる。
筋トレが効果があるかどうかは、パンプ感でも筋肉痛でもない。
次回のトレーニングでより強くなっているかどうかだ。

私がトレーニング中意識しているのは、次回のトレーニングで自分が強くなるために今全開で運動するということだ。意識しているのは未来でも現在でもない。未来を見据えた現在だ。

これって何かをなそうとするときに、重要なんじゃないかなとふと思った。

アイアンクリニックも央整形外科も明日に多くの人を更に元氣にし発展していくために、現在の仕事を精一杯して行くことが大事だなと。
来て頂いた方を、とりあえず運動だけする、薬だけ出すってのじゃなく、未来に元氣になって頂くってとこにね。

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08.01.10:02

美辞麗句に思う

SNSを見ると美辞麗句を並べているのとかをよく見る。

それなりの人が箴言として語った言葉には重みがあるが、ただ美辞麗句を並び立てているように見えるのは私は個人的にあまり好きではない。

しかし、美辞麗句に感動する人がそれだけ多いということは、人間共通の理解として美しく麗しいものがあるということだろう。

いくら資本主義社会で守銭奴、拝金主義のような生き方をしているように見える人にも、多くに響く美辞麗句があるということだろう。

結局、守銭奴、拝金主義に見える人でも、本心は良いことをして生きようと考えているんだろうな。

結局、同じ美辞麗句でも解釈が違うので、生き方も違ってくるってことなんだろう。


以前、こどもの論語の本に「巧言令色鮮し仁」の解説に、見かけばかりを気にしたり、いいことばかり言ったりする人に良い人はいないみたいな説明してあったが、私は人の顔色ばかり窺って信念が無い人には愛が無いという意味だと思っている。
解釈の違いやね。

結局みんないい生き方、いい人になりたいと思っているが、そのいい生き方、いい人が人によって多様性があるってことだな。

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07.30.11:54

学問

医療系国家資格の過去問を見たりするのですが、本当に知識、論理を問う問題ばかりだ。

知識、論理というのは誰でもいくらでも作り出せる。
それが現実的であるかどうかはあまり問われない。

同じ医療業界でも国家資格が異なれば、微妙に言葉の定義も違ったりする。
これも、知識、論理を問う負の側面だろう。
共通言語、共通認識を作る前に、知識、論理を問う。

現実で実用できる実学を問うべきだと思うのだが。

恐らく、こういった問題を作っている人が、現場に出てないか出てもちょっとだけみたいな人なんだろうなと感じる。

実学は単純な真理でも、何度でも問われるべきものだと思うんだな。

知識、論理を基礎として勉強するから、何が本当の基礎なのか分からなくなるんだろうな。

これ、筋トレについても強く思っていることだが。

基本、基礎、本質、道理、真理を学校では勉強するべきだと思うな。
論理、知識は現場に出てから学べばよろしいのでは?

そうすれば、空理空論が減ると思うけどな。

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07.28.12:03

間違った信念は病気のもと

臨床医も長くやってると、心と病気の関係ってのがかなり深い関係ってのが分かってくる。

その中でも、誤った信念を持っている人は厄介だ。
それが、一番の病因と言っても過言では無い。

人間誰でも間違うもので、誰でも失敗する。
失敗したこと無い人がいるとすると、失敗を認識できない人か、全く何もしない人か、その人が神かの3つしかないということらしい。
なのに、自分の間違いを認めない人がいる。

風邪は寒いのが原因じゃない、腰痛は力学的負荷が原因じゃないと言っても、認められない人。
こういう間違った信念を持つ人は治し難い。

そういった間違った信念の最たるものは神頼みだろうな。
宮本武蔵が独行道に「佛神は貴し佛神をたのます」と言ったのはそういうことだろうな。

間違ったものに依存すると、病気になるもんね。

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07.03.01:23

正しい努力

以前にも書きましたが、やはり天下一品木村社長の「正しい努力」ってのが身に沁みる今日この頃。
正しい努力より、儲かる努力ばかりする御時勢。
俺は正しい努力ができているか?と自問自答する毎日。

最近、天一率低いけど。



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05.27.02:27

私の考え?

講演するとよく、「先生の考えでは」という質問をされる方がいる。
私の講演のテーマは主にKIS原則だったりするので、私の話なんて別に誰でも知っていることだったり、当たり前のことだったりします。

が、何が当たり前で何が当たり前で無いかが分からない人が多いようだ。そして、当たり前の話を「先生の考えでは」と言ったりする。

「殴られたら痛いですよね?」と説明すると、「先生の考えでは殴られたら痛いということですが」と聞かれるわけです。痛くないと思うの?って思うわけです。

こういう人は、殴られてもドラえもんが秘密道具で痛くなくしてくれるよって説明の方が、当たり前と思うのだろうか?という不思議。

まあ、こういう人がいるから、私の話に価値があると思って頂けるのかな?なんて思ったりもします。有り難い。

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05.04.03:58

絶対論:二元論

本来、日本的というか東洋的なものは絶対論な考え方で、西洋的なものは二元論というものだそうだ。

科学という考え方は何でもまず分けて考えるという二元論、多元論が考え方の基礎にあるので、やはり、西洋で発展するべくして発展したのかもしれない。

しかし、絶対論的な考え方というのは分けない、差を考えないということだから、あるがままであって、違いを分けないってことだと思う。

自分は健康だ、病気だというのも二元論だ。自分は自分という人間であるというだけの絶対的な存在と考えると、自分は自分で健康でも病気でもない。
自分は病気だという時に健康な自分というものを対象に考えているから思う感覚だ。
この、自分の健康というものに対しては、この絶対的な自然という考え方をしている方が、心的には健康なのかもしれないとふと思った。

まあ、一度二元論を学んでしまうとなかなか絶対論に戻れないものだ。分けたものを知ってしまったのだから。病名が増えるとその病人が増えるのもそのせいじゃないだろうか?


私は性同一性障害ってのは無いと思っている。差別とかじゃなくて。
男と女という2種類の人間がいるから、自分は男、自分は女と思うわけで、自分は自分という絶対論で考えると、自分は自分であって男だ女だと分ける必要がない。ただ、男は男で女は女であるだけだ。
なのに、自分は身体は男だけど心は女、またその逆なんてのも二元論的な考え方だからこそ出てくるんじゃないだろうか。
心が二元論だから、自分という男は男であることに嫌悪感を感じるから心は女だなどと思うんじゃないだろうか?
仮に、マクロスじゃないが、完全に男ばかりの社会に生まれて自分は心は女だと思えるだろうか?無理だろう。だって女というものが無いのだから。

戦国武将も側小姓などと少年を付けて性的な遊びをしたそうだが、それは戦国武将がオカマではなくて、男だけどそういう遊びをするっていう習慣だっただけで、心は女ではない。
現代にそういう感覚の戦国武将のような人がいれば、ある種の精神病と分類されるんだろうな。

精神が健康であるためには二元論を絶対論に戻してみる方が自然で良い場合もあるかもね。

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03.27.11:52

藤岡弘、の武士道

ちょっと前に五輪書を読んでの武士道とスポーツマンシップの違いとか言ってましたが、イマイチ人間教育としての微妙な違いかな?としか感じられませんでした。

新渡戸稲造の武士道もどうも私にはピンと来なかった。

そんな私の武士道に対する疑問を仮面ライダー1号、藤岡弘、が解決してくれた。

藤岡弘、の言うところの武士道とは、三教の教えをミックスしたものだと。
三教とは、日本神道、仏教、儒教ということだ。

なるほどね。ほぼ宗教ってことだ。

ということはスポーツマンシップのような人格形成というよりも、信仰をつくるようなものなんだなと。
信仰ってのは盲信や洗脳じゃないよ。価値観や信念を超えた頭じゃなくて、背骨が入るって意味で。

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