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筋肉ドクターの気まぐれ日記

Killing Timeに日記を書き候
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03.19.13:11

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  • 03/19/13:11

05.17.00:16

真理教育

教育というのは何かを教えるというものなら、簡単なのは答えのあるものを教えることだろう。
しかし、世の中答えの無いことがほとんどで、社会に出てから多くの人が答えの無いものと悪戦苦闘する。
医療の世界などその最たるもの。

今、自分が行なった会話、処置が患者さんにどういうメリット、リスクを与えるか。やってみなければ分からない。せいぜい確率の世界。きっと良いだろうということを行なうことしかできない。その中にこちらの方が儲かるなどという思考が道を歪めることもあるだろう。

しかし、この答えのない世界というのを教育で教えるのは難しい。生徒は答えを求めるように教育されている。
そして、次の試験での回答への近道を知りたがるだけ。

もちろん、教育では論理的思考、合理性をもった考え方を教えるのも科学時代の現代当然のことだろう。
答えのない世界をいかに道理にあった考え方で正しい道を探るか。

しかし、この道理というものも、矛盾を抱えるという特性がある。私が嘘つきですと言う人が正直か嘘つきかという問題だけで論理は破綻する。科学も哲学も宗教もベースに同じ矛盾を抱えている。

答えが出ているから正しいというのも実は不確実なものだ。社会に出てからも、結果を出している人が必ず正しい手段を行なったとも限らない。

私の人生、筋トレの追求から始まり、そういった矛盾の中で正しい結果を出せる手段を導く冒険からこういったことを実感するに至った。

この単純(結構難しいかな?)な真理を教えるとなると、私よりも人生経験の少ない(まあ私もインドアな人間なんで対して経験ありませんが)生徒に教えることは困難だ。

逆に、人生経験でいろいろ道理に合わない答えを信じこむのが人間の特徴なので、経験を経すぎて単純な真理が理解できない人間も多い気もする。

そもそも、世の中の空気に流されているだけの人間なんてそんなことも考えることすら放棄している肉の塊と化した人間も多い。まあ、まだまだ私も肉の塊と化さないように何とか抵抗している程度の身分なので偉そうなことは言えないが。

素晴らしい教育なんて至難の業だとおもうね。

論語に「子の曰わく、如之何(いかん)、如之何と曰わざる者は、吾れ如之何ともすること末(な)きのみ。」とあります。
真剣に筋トレに悩んだからこそ真理を追求する道がおぼろげながら見えた私ですが、真剣に一つのものの真理を求めたこと無い人にそれを教えることは不可能なんだろうな。

「教育とは流れる川の水に文字を書くが如くむなしいものだ。しかし岸壁に文字を刻むが如くやり続けなければならない」 森信三

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Re:真理教育
2013年05月17日金

まさにその通りですね。
イイことをおっしゃいますね(^^)

  • ☆健食第一主義☆
  • 編集

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