11.26.10:55 [PR] |
10.16.10:27 武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり |
さむらいとは、より偉大なるものへの
敬侍(けいじ)である。
この偉大なるものに敬侍し、
没我になって生きるところに、
功利の世界、物質の生活から、
忽然(こつぜん)として道徳の世界、
精神の生活に転生することが出来る。
このゆえに武士は
常に如何(いか)に生くべきかといわんより、
如何に死すべきかの工夫に生きた。
五十年の徒(いたずら)なる生活を犠牲にしても、
尊い感激のある一瞬を欲した。
この身命を喜んで擲(なげう)ちたい事業、
この人の為に死なんと思う知己(ちき)の君、
渾身(こんしん)の熱血を高鳴りせしむべき好敵手、
此等(これら)を武士は欲した。
この躍々(やくやく)たる理想精神は凝(こ)って
所謂(いわゆる)武士気質なるものとなり、
頑固(がんこ)とまで考えられる信念、
極端とまで驚かれる修練となったのである。
安岡正篤
そういう意味だったんですね。死ぬことと見つけたりって。きっと。
まあ、タイトルの死ぬことと見つけたりは「葉隠れ」の一節ですが。
超結果主義ですよね。結果というか志というか。私のセミナーでもミッション、夢、志を持つことの重要性を自分なりに解釈して話していますが、いや~我が先祖は偉大だわ。こんなこと思ってたんですね。あ、農民かな?
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無題
2009年10月16日金
ひさっしぶりに宮本武蔵の『五輪書』ていう本を思い出しました。弓道を頑張っていたころ、薦められて購入しましたが、読んでないや。
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