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筋肉ドクターの気まぐれ日記

Killing Timeに日記を書き候
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05.21.09:39

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  • 05/21/09:39

11.23.11:32

科学的健康法

科学とは、当たり前が何かを知るためのものじゃないかと。
しかし、科学の中で当たり前を歪めようとするバイアスが入ったり、また科学で当たり前と分かっても変えようとしない社会通念があったりする。

不勉強で何の努力もしてこなかった私が、何故科学なんてことを考えるようになったか。それは、トレーニングを追求するうちに分かった当たり前を、多くの方が知らない、分からないからだ。
何故、こんな当たり前のことが分からないのか?と追求するうちに、科学がおかしいことに気付いた。
いや、科学がおかしいのではない。科学的と呼ばれる社会通念がおかしいと思った。

現在の日本は無宗教ではなく、科学的教を強く信じている人が多い。
これは科学的にこうなんです、と言われると盲目的に信じる人が多い。
それが当たり前じゃなくても。

科学的にと言われると、今まで当たり前と思っていたことも間違っていると考える。
現代医学も科学的教の教義の一部と化している部分が多い。

科学的メカニズムや科学的エビデンスの前に、伝統的当たり前は何かをベースに考えるべきと思うこともある。

何万人のエビデンスとか言われると何百人のエビデンスより凄いと思う人も多いが、所詮現代社会生活をしている人のみの研究で、様々な環境の中を生き抜いてきた時間軸の大きさがない。
そういった意味では、伝統に裏打ちされたものは強い。
ただ、高々百年そこそこの伝統で、古来からみたいに言っている紛い物も多い。
伝統を見つめるなら千年単位は必要かと思う。
幸い我が国には二千年以上の歴史的伝統の蓄積がある。
これを無視して科学的教だけを考えるのは健康的な思考ではない。

最近思うのだが、何故千年以上前の人が著した、健康な食事法、運動法が無いのか?(まあ、中国から様々な体操みたいなのが出てきたようだが現代人に広く浸透するほどの伝統が保てていない)。心の健康法は山のようにあり、日本では江戸時代までその叡智が比叡山に集められているように思うが。

私の最近思うのは、悪い食事法、悪い運動法なんてものが無かったから、良い食事法、良い運動法を考える必要が無かったのでは無いだろうか?

食事は現代に入って加工食品の度合いがどんどん増し肥満が問題になったり、運動不足が問題になったりするわけで、昔の人はそんなことを考える必要が無かったのじゃないだろうか?

と考えると最新の健康のための食事法、運動法は昔の人の生活で伝統的に普通にやっていた食事法、運動法に勝るものではないと思える。

そんなことを最近感じました。

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