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筋肉ドクターの気まぐれ日記

Killing Timeに日記を書き候
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04.23.23:41

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  • 04/23/23:41

08.01.02:03

言葉の定義

こころの健康の話をする時に、言葉の定義がしっかりなされずに心の話がされているのが気になることをよく言ってます。
しかし、言葉の定義にこだわり過ぎると、感覚的なものを表現できなくなる場合もある。

人間、思考に言語を使っているのは明らかで、ある程度きっちりと定義付けしないと、他人との共通理解が得られないが、しかし、その人独特の感覚のようなものが定義でがんじがらめになると失われる気がする。

最近の集団的自衛権も言葉の定義で議論しているだけな気がする。本質は、他国が日本の脅威になった時に、武力を用いてでも防衛するって話でしょ。
個別事例が集団的自衛権か個別的自衛権かなんて言葉の定義は空虚に思う。

逆に、運動の3要素の強度、容量、頻度は明らかに物理学的表現を避けて、感覚的文学的な表現だ。
これが、頭でっかちな医療が筋力を強化できない原因になっている。

何事も現実の本質を表す、道理、胆識に繋がる言葉の定義だけでいい気がする。それがKIS原則。

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