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筋肉ドクターの気まぐれ日記

Killing Timeに日記を書き候
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04.25.04:44

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  • 04/25/04:44

03.10.19:34

G.チェスタートン

医者の話の誤りは健康の観念と養生の観念とを結びつける点にある。

健康は養生とどういう関係にあるだろうか。

むしろ健康は不養生と関係がある。

医者が異常に悪い病人に向かっ話すときは、気をつけるように注意するのは当然であるが、社会学者が正常な人に向かって話すとき、それは人類に話すのである。

正常な人間は向こう見ずでなければならぬ。

健康な人間の根本的機能は、おっかなびっくり遂行するようなものではないということを強調する必要があると言っているが、この軽微な言葉は将来ますます社会的に重要になると思われる医学の一面に注意を喚起する効果があると思う。

健康はみずから努力する必要のない、医者が与えてくれるもの、あるいは薬屋で買う薬品によって受動的に到達する状態であるというような幻想を与えてはならない。

健康は創造的な生活方法に依存するのであり、変化してやまない環境から絶えず起こってくる創造できない挑戦に対して、人間がどのように反応するかということに係るのである。

安全・快適を是求め、苦痛と努力をひたすら避けようとする過度の関心は経済的・生物学的に危険性を有するものであり、事実、社会的・民族的自殺にひとしいということを認める勇気がなければならない。

個人の適応力を高め、遺伝的悪化を防ぐ方法を発見しないならば、将来われわれは生命の健全さと、その多くの価値を犠牲にして、ただ命を延ばそうとして、いたずらに一の保護法から他の保護法へと狂奔するにすぎぬことになるであろう。


ちょっと分かりにくい日本語ですが、要するに、今回の新宮先生の本と同じようなことは古今東西で言われているということが分かりましたね。

私も健康のために不必要に動き回って苦労を作ろうと思っている昨今であります。

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