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筋肉ドクターの気まぐれ日記

Killing Timeに日記を書き候
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05.03.01:45

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  • 05/03/01:45

08.09.19:17

主体性

最近、生きるって主体性を持つってことだなと思います。
健康になるのも自分に主体性、責任感を持つことが重要ですね。
感情の解放にも主体性が重要です。

しかし、自分の思い通りにならない時などに叫んで主体性を発揮しているつもりの人も多いかと思います。
本当に主体性を発揮しているのか、誰かにコントロールされているのか微妙ですよね。

どう主体性を持って生きていくかを考えると、知らぬ間に主体性が失われやすいことに気付いた武士が自分がどう死ぬかが一番重要だと考えたのではないかと、ふと思いました。

自分がどのように死ぬかを自分で決めることこそ、他人のコントロールを逃れる一番の方法ですよね。そこからどう生きるか考えればよいわけです。

例えば、重病で病院であなたの身体の状態はこういう状態です。どうされますか?となった時にどう生きるかを考えると、一番良い治療を受けて、健康にできるだけ気をつけてなどと、医師や健康産業に主体性が奪われがちです。
しかし、では、どう死ぬか。家で畳の上で死ぬか、思い残すこと無く遊び続けて死ぬか、働き続けて社会に貢献して死ぬか、病院で管に繋がれて死ぬか、などの選択肢から自分で決めれば主体性が失われません。

「夢を棄てて生きるなら、おまえはもう死んでいる」と布袋さんの新曲の歌詞ですが、主体性を無くして生きていることは生きていないのと同じだと思う人は多いのでしょう。


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