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筋肉ドクターの気まぐれ日記

Killing Timeに日記を書き候
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03.11.01:15

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  • 03/11/01:15

09.09.09:09

ストレスをためる

心の健康を問うと、ストレスをためないことという回答が多かった。

このストレスをためないことという表現がなかなか面白いものだなと感じた。

ストレスをためるという言葉には、主語がない。

ストレスがたまると言うと、主語はストレスで、ストレスさんが否応なしに勝手にたまるという感じだ。
これだともう避けられない運命のようにストレスがたまるので、ストレスから逃れようとするしかない。

この考え方は、ストレスは健康のもとを提唱する超健康道的には間違いだと思うわけです。

しかし、ストレスをためるという言葉はそうではなく、普通に考えれば主語は一人称で、自分がストレスをためるということだ。
要するにストレスは自分がためこむもので、自分の選択だということだ。

超健康道の心の健康法に出られた方は分かると思いますが、実際この言葉どおりだなと思うわけです。


ストレスをためるとはハンス・セリエ後に出来た言葉でしょうが、日本語はうまく出来てるなと何となく感心しました。

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09.02.09:46

怪しい定説

私のこころの健康セミナーを受講された方は分かると思いますが、本当に医療、フィットネス業界って科学的と言われることで、イメージとかフィーリングなんじゃないの?と冷静に考えれば思わなくも無いことがとんでもなく多い。

怪しい定説が多すぎる。

なぜ、そうなのか?怪しい業界だからなのか?

それはセミナーでも説明していますが、怪しい定説を勝手に作り出すのが人間のこころの特徴だからってことだと私は思っているんですよね。

自分は科学者だとか思っている人で、自分のこころの問題とか考えたことのない人って、こういう怪しい定説をいっぱい作り出しそう。
テレビに出ている専門家って方でこういう方多そう。

そういう方にもわたしのこころの健康セミナーは良いかもねって思いました。まあ、そういう方は常識と違うからと、異論を持って終わるだけかもしれませんね。

Keep It Simpleですよ。

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08.29.01:20

パワーボキャブラリー

クリス岡崎さんがおっしゃっているパワーボキャブラリーですが、私のオリジナルパワーボキャブラリーを最近一つ新たに考えました。
なかなかイケてると思います。

以前、「てっぺんを突き抜けろ!」はご紹介しましたが、他に「リミッターを振り切れ!」も私のパワーラックに貼ってありました。

これリミッターを外せじゃないところがポイントです。リミッターを振り切ってガンガン回すってことです。

ちなみに、パワーボキャブラリーなので、一応振り付けもあります。次回の心の健康セミナーの時にでも紹介しようかな?


で、そこに新たな一つを追加しました。

前2者のような激しくないパワーボキャブラリーですが、自分で言うのもなんですが含蓄がありなかなかです。

何かって?










秘密だよ~ん。


興味のある方はアイアンクリニックのパワーラックを観察して下さい。

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08.24.11:18

信頼と思いやり

以前、ジョン・グレイを何冊か読んで、最近なるほどと思うところがある。

まあ、基本は男女の考え方が一緒なわけないよって話だが、男性は信頼するのが得意で女性は思いやるのが得意だということだ。
逆に男性は思いやるのが不得意で、女性は信頼するのが不得意だということだ。

もちろん人間個性もあるので全員に適応出来るものでもないとは言い逃れしているが。

でも、母子関係で自分の母親や奥さんを見ていて、何故こんなに小うるさいんだろうと思ったりするわけですが、これって思いやってるんですね。で、子供を信頼するのが苦手なわけですよ。
だから男の子って、母親の干渉嫌いな子多くないですか?

で男性は女性に信頼されたいのですが、女性は思いやってくると、信頼されないと思っちゃう。
逆に女性は思いやられたいけど、男性が信頼しちゃうと思いやりを感じないと。

妙に納得するんですが、いかがでしょうか?

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08.22.00:24

教えること

教えることって、本当に自分で学べるなと。

もちろん教えるとなるとその前に自分で熟考するわけですが、それでもいざ人前で話すと話しているうちに更に自分で疑問が湧いたり閃いたりします。

キストレなどと知った顔で話してますが、自分で話しながら確かにそうだと自分のトレーニングも修正しています。
これ、自分が高校生の時に知っていたら、絶対に今よりパワーアップした自分になっていたはず。

もちろん私の方向性はより単純に。KISS原則。

KISS原則で健康を考え始めてから、現代医療とギャップを感じる今日このごろ。
これも教えながら気付いたことも多い。


ちなみに最近教えながら考えが変わったのは、前回の気まぐれ日記にヒントが。まあ、大筋変わりませんが。

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08.06.10:42

正しい勉強

昔の勉強というのは読み書き算盤と言われていたのかな?
まあ、読み書きと計算が出切れば、死ぬまで使える知識なわけで、それを教えていたわけですよね。

で、子供の頃に何を読み書きするかというと、昔は四書五経のような修身教育を教えていたようです。
この本来の道徳教育のようなものはやはり、死ぬまで自分の良き人生のためになるわけです。

加えてこれからの社会において、先進国の人はまず運動不足なわけですから運動についての教育も必要だと私は思うわけです。


しかし、昨今の世の中の人の勉強は、どちらかというと資格取得のためだったり、試験だったり、他人に評価されるための勉強ばかりで、自分の人生に使える勉強が少ないように感じます。

勉強が面白くないのは、自分のためと言っても結局試験や資格のためと、結局人に評価されるためだけのものになっているからではないでしょうか?
資格や試験勉強というのは勉強のための勉強のような、空理空論があまりにも多すぎる気がします。

本来自分が自分で使える実学を学ぶ勉強というのは面白いと思いますし、学生のうちはそういったことを本来しっかり学ぶべきだと思うのですが、現状異なる気がします。

人にやれと言われて、人に評価されるための勉強は実学ではないと思いますし、勉強というのは超利己的で自分のためだけにやるものであって良い唯一のものではないでしょうか。

本来の正しい勉強は、どこまでも、自分のために使える実学を追究するもんだと私は思いますね。

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07.06.03:21

イメージの力

医学生の頃に、医者と聞いて聴診器をイメージする人は内科向き、メスをイメージする人は外科向きのような話を聞いたことがある。
その頃はあまり医者になる気も無かったのでどっちもイメージしないやって思ってたけど、やっぱりイメージの力って凄いって最近思う。

まあ、聴診器は診察器具、メスは治療器具として使われるもので、イメージの比較として間違っている気もするが、実際、医者になってからもイメージ通りに聴診器当てまくったり、メスを振るいまくったりしている医者も多いだろう。

でも、実際単純に考えれば、医者ってのは病気や怪我の患者を出来るだけ元の状態に戻すというのが仕事であって、聴診器を当てることやメスを振るうことは仕事の目的ではない。もちろん、薬を出すことでも画像診断することでも注射することでもない。

別に医者に限らず、患者だって、病院というところはレントゲン撮って薬を出してくれるところとイメージを持っている人が多いわけで、単純に考えて不都合な症状、状態から早く脱するということが目的のはずだが、それを見失っている方も多い。

スポーツマネジメントスクールでも成果と稼働を混同するなという話が出てきていたが、しっかりと成果が定義出来ていないと、稼働したことで充実感を得て成果がなおざりになることが多いと、どの仕事にも言えることだ。

成功イメージを持つことの重要性はよく言われるが、稼働して満足しないようにするためには成果をしっかり定義するだけが重要ではなく、イメージを持たないことも意味があるかもしれないなと思ったりもするね。

行動するときに何故そうするのか、立ち止まると色々見えてくるね。私の人生。

KIS原則の次に私が大事にしている原則は階層原理だったりする。これ使える。まあ、KISの延長だが。

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05.29.11:03

神秘主義か合理主義か

世の中結構神秘主義の方がおられる。変な呪文やら祈祷やら何か得体のしれないものに身を委ねようとするような感じの。私の友人でも霊が見えただの、変な気を感じるだの、そんなことを言う人もいますね。

一方科学全能主義のような方もいます。一見合理主義っぽいですが、結局、まだ分からないこともそのうち科学がとか言っている人もいます。

私の場合どちらでもありません。合理性は重要だとおもっていますが、現在の科学的手法の統計学や要素還元主義を信じません。もっと単純なものの道理を重んじます。

神秘主義は自分の主体性無くこの世は不思議なものだと思考停止に陥っている気がしますし、科学的だ合理主義だと言ったところで、自分が何故この世に存在するのかも分からないのに、この世の法則を実は現実性のない人間の合理主義の極地の数字を使って解釈しようという試みをやっているのもどうも怪しい。

数字って厳密に正確にこの世を表せるかというと、物の長さを測るのでさえ厳密には観測者の状態によって変わってしまうという物理学の法則もありますし、より細かい単位で見ればきっちり数字で表せるものはこの世にないと思います。一番現実を数字で表せるのがお金の世界くらいかなと。でも、同じリンゴというものの価値でも大きさや品質や鮮度などで本当は変わるはずですし、現実を数字で表すのは非常に困難ですよね。
ある程度この世に客観性をもたせて考えるツールとしては良いと思いますが、結果は近似値がせいぜいだと思いますね。

物質主義的な人は、人間はお父さんの精子とお母さんの卵子が受精して自分は生まれたなどと言うでしょうけど、物質的な合理性はどうあれ、自分が自分であるという存在感がなぜこの世という自分のコントロール外のものによって存在させられているのか?という疑問が常に残ります。

要するに、自分の存在、この世そのものの存在も神秘と言えば神秘です。これはいくら数字を駆使しようが解決できない問題です。理論物理学でいろいろ言おうが、感覚的にじゃあ宇宙の果ての外は?とか初めの前は?と思ったりします。数学だけで虚数の時間がとか言われてもそれこそ現実的に感じない。

結局、あるがままに感じるこの世で主体性をもった自分が生きていくしかないという現実的な単純な解釈が僕は好きなわけで、科学的合理主義も神秘主義も懐疑的です。

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05.28.10:19

立志

酒井雄哉大阿闍梨は40歳で得度する時に、それまで何となく生きてきたのが、志を持つ生き方というのに変わったそうだ。
毎日、大阪の家でおばさんにプラプラしてと小言を言われるのが嫌で、時々連れて行かれていた比叡山の延暦寺まで歩いていったのが始まりだそうだ。

私の場合いつだろうと考えると、大学7年目に、これはもう医療の世界で生きていくしかないだろうと諦めた日かもしれない。
何となく流れて生きてきてたのが、いよいよ大学の7年目にもなって、しかも2浪もしてるし、ここから違う世界に逃げるような何かも自分に無いぞとなった時に、ある意味覚悟を決めたのが志の始まりかもしれない。

私のセミナーで志を持つ生き方が重要だと言ってますが、結局、志を持つってのはそんな高尚なものではなくて、逃げ場を失い選択肢が無くなった時なのかもしれないなと思いましたね。

自分探しなどと言っているような志を持てない人は、選択肢が多過ぎるか、他の選択肢を諦められない人ではないかと。

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05.24.14:07

努力

酒井雄哉大阿闍梨の本を読むと、酒井さんは二千日回峯行者ということで凄い行を成し遂げた偉人、生き仏などと言われているが、本人は全く努力したと言う感覚が無さそうだ。しかも、謙遜しているわけでも無さそうだ。

で、私事でまあ大した人間でない私ですが、トレーニングをダラダラながらも続けていると、よく努力されてなどとたまには言われなくも無いです。

で、じゃあ、何故、私も大阿闍梨も(一緒にすんな!ってか?)努力していないかと言うと、それが嫌いじゃないし、苦でもないからだと思います。まあ、多少、得意で好きなんじゃないかな?私は自意識的にはむっちゃ筋トレ得意!とか大好き!って思ってないんですけどね。

好きで得意な人がずっとそれをやり続けていると、それが嫌いで不得意な人から見ると、努力してるな!ってなるんでしょうね。

「俺ってこれについてむっちゃ努力してるわ」とか言う人の方が実は、そんなに好きでも得意でもないってことだから、努力の割に報われないとかあるかもしれませんね。

気負わず、好きで得意なことで、多少自分のため世のためになるようなことをやり続けていくのが、何かを成し遂げる秘訣かもしれないなと思ったね。

布袋のギターなんてのもその類じゃないかな?ギター弾くのを人並み以上にむっちゃ努力してるとか言わないもんね。

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