11.23.23:05 [PR] |
08.06.10:42 正しい勉強 |
昔の勉強というのは読み書き算盤と言われていたのかな?
まあ、読み書きと計算が出切れば、死ぬまで使える知識なわけで、それを教えていたわけですよね。
で、子供の頃に何を読み書きするかというと、昔は四書五経のような修身教育を教えていたようです。
この本来の道徳教育のようなものはやはり、死ぬまで自分の良き人生のためになるわけです。
加えてこれからの社会において、先進国の人はまず運動不足なわけですから運動についての教育も必要だと私は思うわけです。
しかし、昨今の世の中の人の勉強は、どちらかというと資格取得のためだったり、試験だったり、他人に評価されるための勉強ばかりで、自分の人生に使える勉強が少ないように感じます。
勉強が面白くないのは、自分のためと言っても結局試験や資格のためと、結局人に評価されるためだけのものになっているからではないでしょうか?
資格や試験勉強というのは勉強のための勉強のような、空理空論があまりにも多すぎる気がします。
本来自分が自分で使える実学を学ぶ勉強というのは面白いと思いますし、学生のうちはそういったことを本来しっかり学ぶべきだと思うのですが、現状異なる気がします。
人にやれと言われて、人に評価されるための勉強は実学ではないと思いますし、勉強というのは超利己的で自分のためだけにやるものであって良い唯一のものではないでしょうか。
本来の正しい勉強は、どこまでも、自分のために使える実学を追究するもんだと私は思いますね。
まあ、読み書きと計算が出切れば、死ぬまで使える知識なわけで、それを教えていたわけですよね。
で、子供の頃に何を読み書きするかというと、昔は四書五経のような修身教育を教えていたようです。
この本来の道徳教育のようなものはやはり、死ぬまで自分の良き人生のためになるわけです。
加えてこれからの社会において、先進国の人はまず運動不足なわけですから運動についての教育も必要だと私は思うわけです。
しかし、昨今の世の中の人の勉強は、どちらかというと資格取得のためだったり、試験だったり、他人に評価されるための勉強ばかりで、自分の人生に使える勉強が少ないように感じます。
勉強が面白くないのは、自分のためと言っても結局試験や資格のためと、結局人に評価されるためだけのものになっているからではないでしょうか?
資格や試験勉強というのは勉強のための勉強のような、空理空論があまりにも多すぎる気がします。
本来自分が自分で使える実学を学ぶ勉強というのは面白いと思いますし、学生のうちはそういったことを本来しっかり学ぶべきだと思うのですが、現状異なる気がします。
人にやれと言われて、人に評価されるための勉強は実学ではないと思いますし、勉強というのは超利己的で自分のためだけにやるものであって良い唯一のものではないでしょうか。
本来の正しい勉強は、どこまでも、自分のために使える実学を追究するもんだと私は思いますね。
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