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筋肉ドクターの気まぐれ日記

Killing Timeに日記を書き候
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11.23.12:45

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  • 11/23/12:45

01.03.20:30

スポーツマンシップと武士道

年末に五輪書を読んでいて感じたのですが、スポーツマンシップと武士道の徹底的な違い。
というか、根本的に違うんだなと、今までも聞いてはいましたが、強く感じました。

スポーツというのはあくまでも、Play the game、ゲームで遊ぶってことを入り口とした、共感を育成する人材育成ツールだ。
一方、武士道や修身、体育教育は目的は人を殺すこと。命のやりとりをすることだ。修身、体育というのは、富国強兵の教育システムなので、いかに戦争で勝つか、その人材育成だ。

五輪書には、構えだなんだという流派なんて後手に回るだけだから、先手を打って殺せば良いという方法が論理的に書かれている。
この、論理性が宮本武蔵の当時としては特異的な資質だったのだろう。ある意味、殺すという目的のためには手段を選ばない。
命のやりとりがかかった真剣勝負のための精神であり、練習や待ったは通用しない。負けたら終わりだ。

一方、スポーツというのはあくまでも、ルールで選手の安全は守られているので、ルールを尊重する人の方が尊重される存在である。真剣勝負で負けても命を取られることはない。もう一度復活することも出来る。


そこで感じたのだが、昭和の経営者ってのは、どちらかと言えば武士道教育を口にする。松下幸之助は、経営者は要するに責任を取る人、部下が失敗したら命をかけてその責任を取る覚悟がある人と言っている。これは、明らかに武士道精神だ。

しかし、スポーツマンシップから言えば、そういった命のやりとりが、経営の話題には出て来ないだろう。


現代社会に必要なのはきっとスポーツマンだろうが、武士道精神を持つ経営者の凄みがあったから日本の高度経済成長があったのかなとも思う。


そう言う意味では私に武士道精神は皆無かもしれない。せめて、スポーツマンシップを持ちたいなと思う年初の気持ちでした。

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