11.27.00:39 [PR] |
04.25.17:21 眠らせない講義 |
眠らせない講義の秘訣というのを書いておられました。
でも、講演会と学校の授業って違う気もするな。
変化(あるいは動き)
を加えればいいこと、そして、どんな変化(動き)かというと、
そのポイントは、次の3つ
1.受講者を動かすこと
2.講師が動くこと
3.機材を多彩にすること
だと申し上げました。
3つのポイントの具体策は、それぞれさらに3つです。
1.受講者を動かすこと
(1)席の移動
(2)ペアで話し合い
(3)挙手
2.講師が動くこと
(1)机に座ったり、同じ場所(たとえば演台)で話し続けるのはタブー
(2)スクリーンの反対側にも立つこと
(3)受講者に近づくこと
3.機材を多彩にすること
(1)パソコン、プロジェクターに加えて板書も使用
(2)アニメーション効果
(3)ブラック・アウト(“B”ボタン)
04.24.11:01 ザ・コーポレーション |
なかなか、興味深い内容だった。
企業というものの発生から企業による世界支配を伝える内容だった。
企業というものが求めるものは利益であり、そのために世界に負担をかけるという内容。
企業が利益を求め続ける結果、世界企業が誕生し、国を超えて企業が世界を支配しつつあり、しかもマスメディアを使って、企業の利益になるような人間を多く作るようにマインド・コントロールしている。
安岡正篤さんもお金は使うものだが、使い方が重要だと言っていたようですが、本当に企業宣伝に洗脳されて時間もお金も使わされている現状を考えると、消費欲が失せる気がしました。
人間は大衆化すると禽獣化するとも安岡氏は言っていますが、企業という大衆意識は利益を貪り食うことしか考えていない狡猾な禽獣に感じましたね。
でも、人間って本当に何のために生きているのかって思いますよね。
04.23.20:45 入浴 |
感染症と衛生状態は相関するとよく言われますが、個人の衛生状態に大きく貢献するのが入浴だと思います。
しかし、何故か、病気や怪我をするとお風呂に入って良いか?とよく聞く人がいますし、黙って風呂やシャワーに入らなくなる人もいます。
確かに温度差の大きな風呂に突然入るのは心臓など身体への負担は多少大きいかもしれません。
しかし、衛生状態の悪化とどちらを取るかと考えると微妙です。
何よりも、医療者としてはくさいにおいに耐えながら処置をするのは、こちらとしてもきついものがあります。
基本的に日本の水道は優秀で、傷に触れたらきれいになることはあっても、化膿はしないことは夏井先生が口を酸っぱくして言われています。
まあ、怪我や病気に限らず、不潔で臭っている人は迷惑ですよね。電車や、時々ジムにもいますよね。
感染症の予防には不潔にするのではなく、清潔にしましょう。
04.22.02:17 バーベルは凄い |
まあ、そんな中で、マシンの優位性である、スキルのいらなさ、重量変更の容易さ、負荷の方向の可変性を生かせるものにしようと思っとるわけです。
でも、あくまで、トレーニングなんて考えたくない、最小限もやりたくない、時間がない、人生どうせ死ぬんだから人に迷惑かけて世話されて死ねば良いという依存的で主体性の無いただ息吸って生きているだけの人向けの、そういった人でも嫌でも効果が出て寝たきりになれないシステムを目指してのものですね(こんなこと言われてもやらない人向けって感じ?)。
書いてて、ターゲットが悪すぎるね。こんなの流行らすの無理っぽいね。
もとい。
やる気のある、自分の人生を生きている方にはバーベル、ダンベルを勧めるね。
04.21.09:42 コーディネーター |
ガンダムseed的な意味合いでのコーディネーターでは無く、本当に人の出会いや場をコーディネートする人ってことです。
まあ、男女の紹介で続いた試しはありませんが、男の繋がりのコーディネートはまあまあ広がったりします。
今回もちょっと閃いて、コーディネーターになろうとしています。
04.20.15:40 ネットの進化 |
個人個人によって、その人の嗜好、検索頻度などからそういったものが検索上位にヒットするようになっているらしい。要するに私が検索して上位にヒットするHPとあなたが検索して上位にヒットするHPが違うらしい。
だから、私が「筋肉ドクター」と検索してトップに自分のHPが出てきても、あなたが検索すると筋肉ドクターと名乗っている別人がヒットする可能性があるということだ。
またtwitterやfacebookの中で何万ヒットしようが、グーグルエンジンにはヒットしないので、内部で閉じられた環境になっているらしいが、Google+だけはグーグルの検索でヒットするらしい。SEOというか集客とかのために多く見てもらう内容を載せるとすると、twitterやfacebookよりもGoogle+の方が使えるということらしい。
情報商材などを販売してネット世界で生きている人も、なかなか対応が大変なんでしょうね。まあ、私は良い距離を保ちながらネットと付き合っているつもりです。
04.18.20:03 安静湿布教 |
湿布は消炎鎮痛剤で、痛いところ以外に貼っても意味がないどころか副作用で治癒が遅れると言っても、機能維持には運動が必須で安静は害だと言っても、何せ信仰ですからそんな話で修正されるわけがありません。
信念くらいなら単純な事実の羅列で何となく違和感を感じて頂けるのですが、信仰まで高めた方には理解は不可能です。
病気や怪我には安静が必須で、湿布は万能薬だと心底信じているのですから、それと違う意見を言う人は人間じゃないってくらいの勢いです。
こういう人には教育してもきっと親もそういう考えでしょうし、育ち方からそういうマインドコントロールを受けているでしょうし、教育だけではいかんともしがたいのかもしれませんね。
しかしある意味うちの親父はそういう信仰をもっている医者なのですが、それを息子の私にマインドコントロールを与えなかったのは偉いのかもしれませんね。
私も息子たちに自分で判断できる子になってもらうようにしようっと。どう育つかな?
04.17.11:48 女性ニート |
学校や仕事へ行っていない人のことをニートって言うんですよね確か。
昔は堂々と「私は家事手伝いです」って言っている女性が多かった気がしますが、最近は失業中ってことで失業率を上げて不況感を煽るキャンペーン中なんだろうか?
私は家事手伝いですって思っていた人をあなたは失業中のニートとレッテル貼って、うつ病かなんかになってもらうキャンペーンなんだろうか?
04.17.04:39 改めて名文 |
「倹約と幸福」(小学館101新書)「巻の二
第六話 ストレスは健康のもと
ストレスは体に悪い、ということが常識になっている。ストレス学説の元祖ハンス・セリエはしかし、ある程度のストレスは「人生のスパイスのようなものだ」として一概にストレスを否定しているわけではない。
スパイス程度にしかストレスの効用は無いのか、かねてより疑問には思っていたが、幸福に関してのある討論会で、筋肉ドクターと自称する整形外科の医師から「幸福の反対は安静です」というサラリとした発言があり、なるほど!と確信を持つことができた。幸福、という抽象的な、あるいは哲学的(答えのない)問題にたいして、極めて具体的な、安静、が対比されているアンバランスなこの先生の表現は大変新鮮で面白い。
ストレスには、筋肉に力が掛る、肉体的なものと、イライラの元であるプレッシャーなど精神的なものとがあるが、先ず肉体的ストレスの大切さを考えて見よう。介護保険が大赤字というニュースが新聞に出るけれども、赤字でも、介護される人がそれで幸福になるならOKかも知れない。けれども、筋肉ドクターの説なら、筋肉の衰えを防ごうとするなら、なるべく筋肉を使うことを心がけるべきであり、安静にしていれば、筋肉はますます衰えるのである。つまり、介護イコール運動機能の衰えた高齢者をなるべく安静に、という方策の現在は、お金を使って老人の体の衰えを助長している、すなわち返って老人をイジメていることになっているわけである。痛くてもしんどくても、無理に体を動かすことこそ大切だというのが人体のメカニズムなのなら、老人はいやいやでも、とことん自分で身のまわりの事をこなすように、冷たく?見守ることこそ高齢者の為でもあり、それが本当の介護なのかもしれない。国の介護保険への支出もそれで減れば一石二鳥であろう。
宇宙飛行士は無重力状態で生活するのだから、筋肉には体重を支えるというストレスが掛らない。その結果、筋肉や骨に回復不能のダメージが生じるので長期宇宙滞在は出来ない。我々はいつも体が重いのは厄介だと思っているけれども、それが厄介である事、つまりストレスが不愉快である事こそ、体を健康に保てるように自然が設定した上手い工夫なのである。
結局、肉体的な健康のためには、ストレスは不可欠なのである。ジョギングとかスポーツジムとかで体を動かす健康法は、すべて筋肉にストレスを与えることなのだ、と理解すればこれは当然のことであり、健康すなわち体のハピネスはストレスに頼らねばならないのである。精神も、それが脳の働きとすれば肉体的ストレスと同様に、苦しい、きつい、という状態なしに健康すなわちはハッピーな状態に保てないであろうことは容易に納得できる。
「人生の楽しさは、消費する喜びプラス余暇の喜び、マイナス仕事の苦しみ、である」と提言した学者がいるが、このような思想が今の世の中では広く受け入れられている。しかし、一歩下がって考えれば、マイナスであるとされている仕事の苦しみ、いや、仕事に限らずとも、苦しみが無くて、消費と余暇とだけある人生なんて、とんでもないものだろうと気づく。
もっと考えを進めると、楽しみだけあって苦しみのない人生が「人生」であり得るか?という疑問も出る。偉い人の自伝は、ほとんどが若い頃の苦しかった体験の自慢話と、成功のきっかけの奇跡的なハプニングのストーリーである。若いころから恵まれて苦労なしに成功した話では、読んでも面白くないし、読む人はいない。だからそんな自伝は無い。若い時の苦労話は苦しいほど読者にうけるのである。さらに考えをおし進めるなら「成功」しなくても、一生苦労の連続であっても、苦労出来たことは幸せだった、という感覚も納得できる。
「安易な生活は清らかであり得ないのです・・・」というセリフがロシアの作家チエホフの劇中にあるが、この言葉がすぐに納得できるのは、清らかでなくても安易な生活に流されやすい我々の避けがたい行動が、実は求めている幸福を遠ざけているのだ、と心では理解出来るためである。トルストイも二十世紀の始めにインタビューに来た新聞記者が、文明は武器や快楽の具を作っただけでなく、人の労働を軽く、労働時間を短くすることにも貢献した、と述べたことに答えて、労働は善いことで、心身を健全にする非常に大切な事柄です、とのべている。
共産主義革命の元祖マルクスは著書、資本論、に革命の主要目的として労働時間の短縮を掲げているが、革命前の状況が酷過ぎたにしても、労働なくして幸福はない、という面がその後、ないがしろにされて来ている。仕事はストレスを伴うけれども、そのストレスは幸福の基でもあることを、忘れてはならない。安楽に暮して来た人が必ずしも長生きでなくて、仕事をし続ける人が長寿である例をよく見聞きするが「ストレスを伴う仕事は、健康のもと」とやはり言えるようである。
さらに精神的なストレスについて考えを進めると、喜びだけ有って悲しみの無い人生がどのようなものだろうか、という問いが出て来る。カール・ヒルティの「幸福論」は神を信じる事を第一とするキリスト教的な至福について書かれているが、そこにも一生運よく喜びにつつまれて過し、本当の悲しみを経験することの無い人生を送る人にはどこか「ちっぽけ、で平凡な感じがつきまとう」そして老年になるとそれが「人相にまで現れる」と書かれている。
幸福論とか、幸福について書かれた書物は、東西を問わず古来沢山あるが、それらを出来る限り集めて検討すると、人が生きていく上で誰しも求める「恋、富、名誉」の達成、所有への欲求を如何にして達成して行くのか、という問題が取り上げられ、それを「より沢山得る、得たそれらの喜びを持続させる、それらを一旦失い、苦労してそれらを挽回する」というような、幸福が書かれた書物が多い。しかし、それらと一味違い、「なぐさめられることのない苦しみ、悲しみの中に、喜びの感情からは得られない幸福が存在する」ということが、示されたり、述べられたものが、かなりの数ふくまれている。
人の心を打ち、読んで教えの得られるのはそのような、幸福論、であることは誰もが認めると思う。悲しみは、人の心に最も大きなストレスをあたえる感覚であり、本当の悲しみは、慰めることの出来ない悲しみである。人間にしか出来ない生き方は、ストレスなしには 存在しない、といえるようである。
人はみな、自分からは望むことのない「悲しみ」すなわち、最も大きなストレスをも、幸せにつなぐ、不可思議で、矛盾に満ちた、素晴らしい生きものであるらしい。
04.16.09:50 講演依頼 |
しかし、今年は既に一つ依頼を受けたセミナーをさせて頂いて、現在3件ほどの講演依頼を頂いています。
何となく始めた講演活動ですが、今年も少し発展しそうです。
ジャングルジムスポーツの小川会長にネーミングして頂いた私のトレーニング、○○トレの講演もまだやってないので、やってみたいなと思っています。