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筋肉ドクターの気まぐれ日記

Killing Timeに日記を書き候
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11.23.16:08

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  • 11/23/16:08

04.15.01:57

救助?

幸運ながら私の周りには、成功者と呼ばれるであろう人がいる。
そして、その人々は一様に「協力するよ、助けるよ」と言ってくれる。

しかし、最近よく分かったのだが、これは「代わりにやってあげるよ、救うよ」という意味ではない。

しかし、私を初めとする成功思考でない凡人にはなかなかこの意味の違いが分からない気がする。

少なからず、それを勘違いして、代わりにやってもらえる、救ってもらえると思って、言ったのに約束が違うと離れていった人もいる気がする。

要するに、この助けると救うの違いは、主体性がどこにあるかということだ。助けるというのは、自分が何かをやろうとするのを助けるよということで、自分がやらないことをその人が代行して救ってあげるとは言ってないのです。

よくよく凡人思考の我々は、助けてもらえるというのは、自分はこれがやりたいなーなどと言いながらボーッとつっ立っていれば誰かが助けてくれると思いがちだ。

しかし、成功者はこれをやると行動を起こしている人を助けると言っているのであって、あなたの夢を代わりに叶えてあげようとは言っていないのです。


これは、よくよく考えてみると、医療者にも共通に持たなければならない思考方法のようにも感じる。
医療者なんて所詮人間ですから、病気や怪我の人の代わりに治してあげたり救うことなんて出来ない。
治ろうと頑張る人を助ける・協力することしか、我々は神ではないのでやろうと思っても出来ない。
これを勘違いして自分はあなたを救うことが出来るなどと思い上がると、カリスマインチキ治療家になってしまう。
逆に治ろうとしない患者さんを治すことなんて出来ないのが医療者だと思う。


もしあなたが患者になって、治る気がないのに医療者のところへ行っても救われない。治ろうとするなら助けてくれるでしょう。

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