11.23.22:14 [PR] |
11.15.01:43 期待値で生きる |
「パスカルの賭け」というエネカンで新宮先生に教えていただいた話がある。
これは、神がいるかいないのかという話で、どちらが真実かではなく、どちらの方が期待値が高いかという話です。
期待値というのは確率の話で、どれくらいの見込みの値かってのを表すものです。
神がいるとすると、神がいつも自分を見ているとなると、善行に励むことになり、死んだ後で神に天国に導かれることになる。期待値はそこそこプラスなものになることが予想される。
で、神がいないとして、では、この世で人の迷惑も省みず、好き勝手欲望のままに生きて死んだら、神様に地獄に行かされることになる。これは永久の苦しみを表し、期待値はマイナス無限大となる。
となると、神がいるとする方が良いのではないかという話だ。
この話はそもそも天国と地獄なんてものがあるのかみたいなところが抜け落ちているので、一概に納得出来るものでもないが。
しかしこれは、健康に対する期待値として考えるときにも役立つ。
ストレスが万病のもとと考えて生きていると、ストレスが無い日など無いわけで、更に何か病気になるのではと怯えながら、更なるストレスを抱えて生きていかなければならなくなる。期待値的にはかなりのマイナスだ。
逆にストレスは健康のもとと考えて生きると、ストレスがあった日は、ああこれでまた自分は成長できるんだ、健康レベルが上がるんだと安心して生きていける。これは期待値はプラスだ。
正しい、正しくないではなく、期待値で考えて良い方の考え方を選ぶというのは、間違ってようが、生きる上で重要に思う。
例えば最近ならば寒い日が多くなってきたわけですが、寒いと風邪を引くと思うのと、寒いと身体が鍛えられて風邪を引かなくなると考えるのとどちらの期待値がプラスか。
考えれば後者なのは、ストレスと同様に分かる。
腰痛なども、運動すると腰痛になると思っている人と、運動すると腰痛の予防治療になると思っている人では、期待値がプラスなだけでなく、怖くて動けない人生と比較すると、動ける人生の充実度はかなり更なるプラスが予想される。
で、実際に期待値が高い方が医学論文的には真実だったりする。
科学的に正しいか正しくないかに拘るように教育されている我々だが、人生、特に健康面で期待値で得する考え方をするようにすれば、本当は間違っていようと正しい気がするという話。
これは、神がいるかいないのかという話で、どちらが真実かではなく、どちらの方が期待値が高いかという話です。
期待値というのは確率の話で、どれくらいの見込みの値かってのを表すものです。
神がいるとすると、神がいつも自分を見ているとなると、善行に励むことになり、死んだ後で神に天国に導かれることになる。期待値はそこそこプラスなものになることが予想される。
で、神がいないとして、では、この世で人の迷惑も省みず、好き勝手欲望のままに生きて死んだら、神様に地獄に行かされることになる。これは永久の苦しみを表し、期待値はマイナス無限大となる。
となると、神がいるとする方が良いのではないかという話だ。
この話はそもそも天国と地獄なんてものがあるのかみたいなところが抜け落ちているので、一概に納得出来るものでもないが。
しかしこれは、健康に対する期待値として考えるときにも役立つ。
ストレスが万病のもとと考えて生きていると、ストレスが無い日など無いわけで、更に何か病気になるのではと怯えながら、更なるストレスを抱えて生きていかなければならなくなる。期待値的にはかなりのマイナスだ。
逆にストレスは健康のもとと考えて生きると、ストレスがあった日は、ああこれでまた自分は成長できるんだ、健康レベルが上がるんだと安心して生きていける。これは期待値はプラスだ。
正しい、正しくないではなく、期待値で考えて良い方の考え方を選ぶというのは、間違ってようが、生きる上で重要に思う。
例えば最近ならば寒い日が多くなってきたわけですが、寒いと風邪を引くと思うのと、寒いと身体が鍛えられて風邪を引かなくなると考えるのとどちらの期待値がプラスか。
考えれば後者なのは、ストレスと同様に分かる。
腰痛なども、運動すると腰痛になると思っている人と、運動すると腰痛の予防治療になると思っている人では、期待値がプラスなだけでなく、怖くて動けない人生と比較すると、動ける人生の充実度はかなり更なるプラスが予想される。
で、実際に期待値が高い方が医学論文的には真実だったりする。
科学的に正しいか正しくないかに拘るように教育されている我々だが、人生、特に健康面で期待値で得する考え方をするようにすれば、本当は間違っていようと正しい気がするという話。
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