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筋肉ドクターの気まぐれ日記

Killing Timeに日記を書き候
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11.27.15:30

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  • 11/27/15:30

02.23.20:01

信仰

不都合な症状があると注射して欲しい人がいて、それは信仰だと言ったら看護婦さんには理解できなかったようだ。

昔の医学が祈祷だったとすると、祈祷で治ると思うなんて信仰だと現代人は思ったりするわけでしょう。

そして、病気の原因を分析主義的に解明しようとしてきた歴史があります。
そんで、有効成分なんてものを自然界から発見して化合して薬剤として作っているわけです。

で、不都合な症状だけあって、自分では分析主義的な原因も分からずに注射して欲しいとはどういうことか?

普通に考えたら針で刺されてその先から身体にとっての異物を注入されているという行為は、健康になる手段でしょうか?
そこに分析主義的に何か解明された物質が入っているはずだという期待感があって、それによって自分が治ることに良い影響を与えるだろうと盲目的に信じているから、そんな不健康な手段を受け入れているわけですよね。

一方祈祷はどうでしょうか?肉体的に何も起こっていないので身体を害するものではありません。しかも、後光を纏った祈祷師に祈られると安心感がありストレスから解放されるのかもしれません。となると、妙に金でも巻き上げられなければ健康に間違いなくプラスかもしれません。もちろん祈祷師じゃなくて家族でも誰でも早く治れって応援してもらうだけでも、自然に単純に考えたら注射という人間が発明した暴力的行為よりも健康になれそうな気がしませんか?まあ、過保護な家族は有害だというのもあるようだが。

信仰の力とは面白いというか恐ろしいというか、そういうものですよね。

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