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筋肉ドクターの気まぐれ日記

Killing Timeに日記を書き候
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11.25.11:35

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  • 11/25/11:35

02.02.10:56

スポーツマンシップ教育と体罰

スポーツマンシップ指導者として、スポーツについて学んだことは、スポーツというのは人材育成の無二のツールだということだ。
村社会から現代社会に移行して、同じ人間との付き合いから異なる人間との付き合いが必要となり、顔の見えない人とうまく付き合える人間をどう育成するかという目的で作られたものがスポーツらしい。
その中でスポーツに関わるルール、相手、審判を尊重する態度を持てる人をスポーツマンと呼び、スポーツマンが持つべき尊重する態度をスポーツマンシップと呼ぶということだ。
その中で社会へ出てからのリーダーシップ、フォロワーシップも身につけることが出来るのがスポーツの良いところだそうだ。

これは、武道でも同様で、立派な武士を育成するツールだったわけで、まあ武士というのは士農工商の身分制度上、リーダーとそのフォロアーであるべきで、帝王学も合わせて教育することが目的だったと思う。

ただ、商業化した現代スポーツにおいては、スポーツで勝つためのスポーツのような要素も出てきているが、しかしスポーツ選手には選手寿命があるわけで、スポーツマンシップを育成すること無しにただ強かった選手などは、引退後のセカンドキャリアは社会適合出来ず悲惨な運命が待っているということになってしまう。

こういう中でスポーツマンシップ指導者を育成しようという動きがあるわけだが、結局妨害するのはスポーツマンシップの無いただそのスポーツが出来ただけのスポーツ指導者のようだ。
最近の日本体育協会内のそういったスポーツマンシップの無い指導者が、スポーツマンシップという言葉を避けているのが面白い。
私はスポーツドクターでもあるので、日本体育協会からの配布物が届くのですが、ひたすらスポーツマンシップという文言を避けてフェアプレイに置き換えているのが醜い。
フェアプレイというのは、プレイ中だけ正々堂々と闘うということで、その他の行動で社会人としてあるべき態度を育成するというものではない。

で、そういったスポーツの指導現場で、もちろん、勝つために手段を選ばない、ルールも尊重しないようなことをわざとやるような選手がいた場合、これはスポーツマンシップ指導者としては注意するべきところだ。こういった輩は社会に出たら害になる。儲けるために不正もOKという人間だということだ。

正義感が強すぎるスポーツ指導者がその行き過ぎた選手に、社会に出てから罰を受ける前に、その選手に罰を与える。これは例え体罰であってもありかなと思う。それが、その選手のためにもなるのだから。

しかし、日本体育協会のその醜い態度から分かるように、スポーツ指導者の中に、勝つために手段を選ばないことを指導しているような人も多いのだろう。そういう指導者は社会不適合者を育成していることになる。

そういった指導者の体罰というのは、指導者の利己的な理由でのものであるだろうし、周りから納得されるものではないからこそ、問題になると思う。

もともと日本は武士道という明文化されていない精神があったから、道徳を規定する宗教が無くても明治維新以降の隆盛があったという意見もある。

しかし、戦後道徳観の低下が指摘されていますが、その波がスポーツ業界にも来ているというのが、最近の体罰問題だろうなと思ったりします。

結局指導者になる人が、指導者たるべき教育を受けた人が戦後は皆無なことが問題の根底だろう。問題解決は教育改革にあるんだろうな。

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